ウクライナ侵攻における「政治とスポーツは別」という言説について

パラリンピックでのロシア・ベラルーシ選手の処遇について

ロシアのスポーツ選手がパラリンピックに出場できないなど、不利な処遇を受けている。これについて、「政治とスポーツは別なのだ。だから、スポーツ選手の扱いは平常時通りであるべき。」という意見がある。

 

果たして「政治とスポーツは別」なのか、少し考えてみたい。

 

五輪について

私はウクライナ侵攻においてはロシアのスポーツ選手に不利な措置が取ることは必要だと考える。

少なくとも2022北京五輪について、ロシアの選手が不利な扱いを受けることは当然と考える。
五輪休戦協定違反の常連国であるロシアには、少なくとも五輪に関しては「政治とスポーツは別」という論理を持ち出すのはおかしい。

 

五輪以外のスポーツについて

2022北京五輪以外のスポーツについては、議論の余地はあるかもしれないが、
やはり、私は五輪以外のスポーツにおいても、特に国際的な試合に関して、ロシアのスポーツ選手に不利な処遇を与えることは必要だと思う。

 

「人道はスポーツに優先する」

「政治とスポーツが別」ではあるが、「人道はスポーツに優先する」ともいえる。
今起きている戦争が、多少なりともお互いの主張のぶつかり合い、正義や憎悪のぶつかり合い、というある種の公平さがあるならば
戦時中でも「政治とスポーツは別」という論理もあるかもしれない。

しかし、今回の戦争は
・軍事大国であるロシアが、他の主権国家を侵略するという構図。
・かつその軍事大国は常任理事国である。
・その目的が「ウクライナの非武装・中立化」という支離滅裂なモノであること。(ウクライナ規模の国で非武装というのはありえない。)
ウクライナ側は開戦の意思はなく、ロシアとの戦争を避けようとしていた。
というものである。
しかし、常任理事国が拒否権を行使して他国を侵略すれば、止められる方法はない。

このような状況で、西側諸国がロシアのウクライナ侵攻をとめるには、ロシアに対して考えうる様々な方法で
圧力をかけていくしか方法は残されていないように思われる。
この状況下でロシアのスポーツ選手が「政治とスポーツは別」という論理を持ち出すのは、バランスがおかしいと言わざるを得ない。

 

ロシア選手個人に「ウクライナ侵攻への反対」を求めるのは・・・

  選手個人側には、ロシアの政権批判になるような事を口にしたくない、という事情があるとは思うので、選手個人に「ウクライナ侵攻への反対」や「プーチン批判」を求めるのは、安全な場にいる外国人がすべきことではないと思う。