「ウクライナの大統領は、自国民の死者を増やさないために徹底抗戦を避けるべき」、という言説について。
「ウクライナの大統領は、自国民の死者を増やさないために徹底抗戦を避けるべき」、という言説について。
どうやらそのような言説をいう人がいるらしいので、すこし考えてみる。
ウクライナは、自国民を守るためにどこかで折り合いをつける必要はあるにせよ、「命より大切なものはない、自国民の死者が増えているのだから降伏すべき」というシンプルな論理で判断できるものではないと思う。
これほど明確に、主権国家を力でねじ伏せているのだから、ロシアの停戦条件を丸のみしてしまえば、この先のウクライナ国民にどのような人生が待っているのかわからない。
ロシアのウクライナ侵攻の大義名分の一つに「ウクライナ国内にいる親ロシアは住民を守る」というものがある。
いま、ロシアがしていることは「新ロシア派の住民を守る」為に、「その他大勢のウクライナ人を殺している」のである。
このような行動原理のロシアに降伏することは、目先の命は助かったとしても、その後元通りのウクライナが回復することが保証されるとは考えられない。
もちろん「全員が総玉砕という極論」と、「人命優先で今すぐ無条件降伏するという極論」の間のどこかに落としどころはあるのだろう。
しかしこれは、「今戦って死ぬこと」と「将来、理不尽な支配によって死ぬ」ことのバランスの問題であって「自国民の死者が増えている」という単純な理由で、「即座に徹底抗戦をやめる」と判断できるものではないと思う。
ウクライナの人々は、当然ウクライナの人命は大切だと思っている。
その大切な人命を失いながら、ウクライナが自分たちの国らしさを保ち、希望を持って住むに値する国であるために戦っているハズである。
なので、「ウクライナの大統領は、自国民の死者を増やさないために徹底抗戦を避けるべき」、という言説は私が思うに単純に過ぎる。ウクライナの大統領も、ウクライナ国民もその程度の理屈は承知の上でなお、戦うことを選んでいると思う。
「降伏すべきではない、というあなたは、ではウクライナの人に戦えというのか?」という言説について
これもまた単純な言説だと私は思う。
「降伏すべき」「戦うべき」は、どういう立場で論じているのか、という点で大きく異なる。
西側諸国に住む国民の打算を論じる立場としては、私は「戦うべき」であると思う。
ロシアの無法行為は許しがたいので、誰もこの戦争には参戦はしないけど、僕らの価値観を守るために「戦うべき」である。
これはかなり酷い言い方だけど、ゼレンスキー大統領自身もこのような構図は認識していて、アメリカ議会での演説でも「きょう、ウクライナ人はウクライナを守っているだけでなく、未来という名のもとに西欧の価値観と世界のために命をかけて戦っています。」と言っている。
(Today, the Ukrainian people are defending not only Ukraine, we are fighting for the values of Europe and the world, sacrificing our lives in the name of the future.)
ウクライナ人の境遇を思って声をかける一人の人間の立場としては、そもそも「降伏すべき」「戦うべき」のどちらも言うべきではない。
外国人の立場からはそれをいうことはできない
ウクライナ人が死ぬこともつらいし、無条件に降伏することもつらい。
この決断のバランスを考えられるのは、ウクライナの人たちであって、外国人が安全な場所から
ウクライナの人に向かって「戦うべきだ」ともいえないし、無責任に「降伏すべき」ともいえない。
上記2つの立場があると私は思うのだけど、
ウクライナの人を応援したいという気持ちの中には、一見後者の立場から出ているように思えても、いくらか前者の立場からの思いも含まれているのではないかと自覚している。
本当に「命より大切なものはない、自国民の死者が増えているのだから降伏すべき」のようなことを言っている人がいるのか
Twitterで検索してみると、いくらか見つかった。
・「時間の経過による状況の変化がある」ことを無視したもの
「単純な軍事力ではロシアに勝てるわけがないのだから、はやく降伏したほうがいい」というのは、これにあたると思う。
ウクライナは時間と人命を費やして、状況の変化を待っているのであって、単純な殴り合いで勝てるとは思っていない。
・「降伏後に、ロシアがウクライナ人の人権を回復する」と仮定したもの
「命より大切なものはない。子供の未来が大事。」「ひとまず逃げて、10年後に戻ってくればいい。」というのは、これにあたると思う。
こういう意見は、想像力が欠けていると思う。
親ロシア派の住民を守るという大義名分のもとに、これほどウクライナ人の命を軽視しているのだから、降伏したあとにどのように遇されるかを想像したほうがよい。
日本人にわかりやすい例えを考えてみる
北朝鮮が攻めてきたとしましょう。
戦わなければ、日本が北朝鮮の一部になり、将軍様に忠誠を誓わなければ生きていけない国になります。 となれば、さすがに戦わずに北朝鮮の一部になる選択をする人はいないのではないでしょうか?
北朝鮮が攻めてくることは実際考えづらいとは思いますが、あえて日本よりも軍事力が劣る国を選んでみました。 勝てそうな国ならば、失われる権利と勝算を比較して、戦う選択肢が浮かんだ人もいると思います。
これが北朝鮮ではなく、中国だったらどうでしょうか?
戦っても勝てないと思う人もいるでしょう。
誰しも、自身の権利や未来のために戦うことを選択する可能性・意思を秘めていると思います。
そして、失われる権利と勝算を比較する計算を働かせると思います。